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アンラーニングが求められる時代 長岡健 氏講演会

私たちは日々、書物や言論といった先人の知恵、原理原則から学ぶことによって向上したいと願っていると思います。もちろん私もその一人です。

しかし、その道の達人として「熟達」していくためには、「アンラーン」(学ばない・学習棄却)こそが大切というお話を、法政大学の長岡教授から教わりました。

劇的な変化が起きているこの時代、過去の因習や成功体験に囚われずに行こうというのは納得できました。

以下、「アンラーニングのすすめ」のお話の流れに沿って振り返ります。

<熟達化の5段階モデル>
■初心者 → ■見習い → ■一人前 → ■上級者 → ■熟達者 
という成長モデルの中で、どうすれば最上位の「熟達者」になれるのか?


というところからお話が始まります。

「熟達者」とは?
■未知の事態への対応ができる
■「体系的知識」に固執しない
■「束の間の理論」の生成
■行為の中での「即興的対応」ができる


という定義とのこと。「上級者」より上の概念です。そこには、熟練の限界という視点が持ち込まれています。過去の経験そのものが我々が新しいルールに適応するには逆に妨げになる、というわけです。

学習棄却【アンラーニング】
■組織学習論における議論
過去をどれだけ捨てられるか。
「何かを身につける=学習」からの脱却。


新たな環境にふさわしい考え方・振舞い方の熟達

↓適応への妨げを除去
すでに因習となった経験値・実践知への棄却

↓ほぐすべき凝りに気づく
変化を「自分ごと」として受け入れる批判的態度
(=無自覚に気づく、クリティカルシンキング)


では、どうやったら、「アンラーン」できるようになるのか。その方法のひとつとして以下の「越境学習」が紹介されていました。

「越境学習」の可能性
「カタルシス」よりも「異化効果」が求められる。
カタルシスとは心を浄化すること。感情移入からの快感。アンラーンするには「異化」することが求められる。感情移入しない。違和感を感じる、自分が変なんだと感じること。今までの研修・学びは「納得」「はら落ち」。アンラーンは意識的に「異和感」から入る。自分を異化する。



ちょっと、このあたりから、禅問答のようになってきましたが、なんとなくおっしゃっていることはわかります。

この自分を異化するというのは、組織の中でやるのは限界があるそうです。確かに・・・。その言動は組織の中では浮きそうですね。空気読めないというか・・・。組織の中で「自分自身を異化」することに限界があるため、学びの場所として、組織外の場所を持つことを、長岡教授は提唱していました。

学びのサードプレイス
組織以外の人とのかかわりを通じて学ぶしかない。多重成員性(マルチ・メンバーシップ)への意識。
自分が好んで行く場所でないと意味がない。かつ、自分と違う価値観が多く集まる場所。
いかに異化することができるか。しかし、異化は難しい。どうしてもカタルシスになってしまう。



確かに、全く価値観の異なる集団との付き合いというのは、新しい視座をもたらしてくれそうです。

で、この、「アンラーニング」できた、熟達者の境地として、言語化できる状態として、紹介されていたのが、「アマチュアリズム」というワードでした。

「アマチュアリズム」 by E.サイード(「知識人とは何か」より)
アマチュアリズムとは、専門家のように利益や報酬によって動かされるのではなく、愛好精神と抑えがたい興味によって衝き動かされ、より大きな俯瞰図を手に入れたり、境界や障害を乗り越えさまざまなつながりをつけたり、また、特定の専門分野にしばられずに、専門職という制限から自由になって観念や価値を追求することをいう。

イメージできる語句がないが、あえていうなら「プロデューサー」
専門性はなくて、専門家を動かしていくイメージ。



偉大なる「素人精神」という感じでしょうか。なんとなく、普通によく言われる結論に落ち着いてしまった気もしますが・・・。

最後のしめくくりとして、これからの「学び」の姿勢として以下のようなメッセージがありました。

「教育論」から「学び論」へ
そろそろ私たち自身の学びを考えなくてはならない。
自分が目指すべき方向のデザイン自体が学習プロセスの重要な一部を構成するはず。「変化する環境」と「変化する個人の位置」のダイナミクスを探索する意識が求められる。
「一人前の実務家」であれば、学習の方向性をデザインするプロセス自体にコミットすべきでは。



日々、学びを志すものとして、ひとつの考え方として、頭に入れておきたいと思います。

ありがとうございました。

松崎哲也


長岡先生の著作です。↓
ダイアローグ 対話する組織
中原 淳 長岡 健
ダイヤモンド社
売り上げランキング: 12366


以下、追記部分は個人的なメモです。意味不明とおもいます。あしからず。


20110728夕学五十講 長岡健 アンラーニングが求められる時代
~「大人の学び」の新たな展望~
長岡健 法政大学経営学部 教授


菊と刀 ルース・ベネディクト 著
日本の文化に関する紹介。日本は恥の文化、と初めて紹介したもの。
日本人にとっても、改めて面白い視点を教えてくれる。
私の研究姿勢もこうありたい。

専攻分野  組織社会学(ポストモダン組織論)
        質的調査法(エスノグラフィー)

活動テーマ 非経営学的な視点から、「人材育成」という営みの新たな意味と可能性を探る。


今日のトピック
1) この10年に起きた変化を鳥瞰する
2) 異人の(ストレンジャー)抱いた素朴な疑問
3) この先の大人の学びを展望する


この5年間でいちばん大きなコンセプトの転換は何だろうか。

「熟達化」という概念 と私は思っている。
ある領域での長期経験に基づいて、まとまりある知識・技能を習得し、有能さを獲得していくプロセス。一人前になっていくプロセス。


<熟達化の5段階モデル>
■熟達者
未知の事態への対応ができる
「体系的知識」に固執しない
「束の間の理論」の生成
行為の中での「即興的対応」

■上級者
視野が広くなる
■一人前
ルールに縛られず、臨機応変に行動できる
仕事の全体的な責任を負うことができる
複数の選択肢を想起することができる

■見習い
ルールを破ることも必要だとわかる

■初心者 
柔軟性がなく、ルールに縛られている。
決まりごとがあった方がラクと感じる
結果に対する責任を負わない


どうすれば「熟達者」になれるのか。

経験学習論
□「知識・スキルを学ぶ」のではなく
「学び方を学ぶ to learn how to learn」

□自らの経験から独自の知見(マイセオリー)を紡ぎだすことを「学習」とみなす

学習(成長)は一人ひとりの実践者が、いろいろな場面や機会を通じて、自分で知識構築、知識統合していくこと。


「経験」のデザイン

■ストレッチ(背伸び)
・個人に応じた適切なストレッチが与えられること

■「参加としての学習」(=状況的学習論)
・学習とは共同体による実践の場であり、「学習VS仕事」という対立概念は存在しない
・「知識獲得」は他者から見た評判であり、学習者自身が知識獲得を意識する必要なし。


「省察」のデザイン
■対話(ダイアローグ)
・「埋め込まれた状況」から一歩抜け出す
・違う視点から問いかけることができる他者の存在
・学習者自身が「語る」ことで経験を意味づける

■「研修offJT」の意味変容
・現場で応用するための知識を習得する場から、「現場での経験を振り返り、意味づける場」へ。


誰の学びが問題なのか?
部下が一人前になってくれないから
ほんとの意味でエキスパートってどうなれるのか。



熟練の限界という視点
過去の経験そのものが我々が新しいルールに適応するには逆に妨げになる。


学習棄却【アンラーニング】
■組織学習論における議論
過去をどれだけ捨てられるか。
「何かを身につける=学習」からの脱却

■教育学における議論
「学びほぐし」=「教わりグセ」からの脱却
自ら気づき、変化を受け入れることの意義



意識変容としての「学習棄却」

新たな環境にふさわしい考え方・振舞い方の熟達
↓適応への妨げを除去
すでに因習となった経験値・実践知への棄却
↓ほぐすべき凝りに気づく
変化を「自分ごと」として受け入れる批判的態度
(=無自覚に気づく、クリティカルシンキング)



熟練の限界への気づき

批判的思考を通じた学習棄却
急激に変化し続ける社会状況下において「熟練の限界」に柔軟に対応するための「主体的な脱・組織化社会」への取り組み



展望のための3つの視点
1 学習棄却へのジレンマの解消




学習棄却のジレンマ

寓話的ケース
隠ぺい体質の変革に燃える若きビジネスマンの軌道としては次の3パターンがあり得る。
1)改革に成功する
2)見切り、転職する
3)隠ぺい体質に同化していく

やってほしいのは1の改革なんだけれど、会社では評価されない。上司に嫌われる。改革には経済合理性はない。なので、同化していってしまう。結果として3しかありえない。


「越境学習」の可能性

「カタルシス」よりも「異化効果」が求められる
カタルシスとは心を浄化すること。感情移入からの快感。
アンラーンするには「異化」することが求められる。感情移入しない。違和感を感じる自分が変なんだと感じること。
今までの研修・学びは「納得」「はら落ち」。アンラーンは意識的に「異和感」から入る。自分を異化する。→組織の中でやるのは限界がある。


組織の中で「自分自身を異化」することの限界
組織以外の人とのかかわりを通じて学ぶしかない。多重成員性(マルチ・メンバーシップ)への意識



学びのサードプレイス

パブリックな「学び」

              サードプレイス
               「学習棄却」   ↑
インフォーマルな「学び」      ---------------     フォーマルな「学び」
                          ↓
自己啓発

プライベートな「学び」

自分が好んで行く場所。自分と違う価値観が多く集まる場所。
いかに異化することができるか。しかし、異化は難しい。どうしてもカタルシスになってしまう。



専門主義(プロフェッショナリズム)の呪縛

プロフェッショナルの特徴
■高度な専門知識
■自律的な行動
■職業への愛着
□公共の利益への奉仕
――――――――――――――――――――――――――
□同業者集団への準拠
□専門家としての地位が認められている
(専門領域への固執が専門分化への弊害になっている)


イノベーターは「熟達者」か?

イノベーターの特徴と熟達者は対照的な特徴を持っている。反対、全く違う。
イノベーターは熟達化では生まれないし、専門家からは生まれない。
専門分野があったとしても意識していない人。


マネージャーとリーダーの違い
マネージャーは熟達していってもリーダーにはならない。
専門分野を持たなくても、うまくやっていけるビジネスパーソンはいるのではないか。それも求められている。


「アマチュアリズム」 by E.サイード(「知識人とは何か」より)

アマチュアリズムとは、専門家のように利益や報酬によって動かされるのではなく、愛好精神と抑えがたい興味によって衝き動かされ、より大きな俯瞰図を手に入れたり、境界や障害を乗り越えさまざまなつながりをつけたり、また、特定の専門分野にしばられずに、専門職という制限から自由になって観念や価値を追求することをいう。

イメージできる語句がないが、あえていうなら「プロデューサー」
専門性はなくて、専門家を動かしていくイメージ。


「教育論」から「学び論」へ
そろそろ私たち自身の学びを考えなくてはならない。
自分が目指すべき方向のデザイン自体が学習プロセスの重要な一部を構成するはず。「変化する環境」と「変化する個人の位置」のダイナミクスを探索する意識が求められる。
「一人前の実務家」であれば、学習の方向性をデザインするプロセス自体にコミットすべきでは。

以上。
(以下は質疑応答)



サードプレイス  そこで、異化できた感覚とは?
→例えば研修でのテクニック。無理難題を吹っ掛けて、最後に答えを与えるとカタルシスが高まる。
答えが見つからない、答えをもらわずに帰るような状態。そういう気持ちを持って帰る状態が異和感。異化できた感覚。



異化しなくても、カタルシスを得た後で考えることもあるはず。
カタルシスがあるゆえに考えることもあるはず。
→劇的に変えようとしている時は、カタルシスではなく異化ではないか。カタルシスは苦しい現状に戻っていく活動。劇的に変えるなら異化効果。


組織の中でやるアンラーニングは無理。
経済合理性がないから。


知識を身につけて悪いわけではない。
知識の応用で解決できているという証明ができていない、だけ。


[ 2011/08/01 00:34 ] 講演会 | TB(0) | CM(0)
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Author:松崎哲也 (love365)
ベネッセで雑誌とWebのメディアマーケティングを担当する部門のブチョー。ソフトバンク・アカデミア外部1期生(現在参加中)。
「発信内容は個人の意見であり、必ずしも組織の見解と一致しているわけではありません」

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