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谷川俊太郎 覚和歌子 「言葉の力」

5月7日は楽しみにしていた、谷川俊太郎さんの講演会でした。

自分にとって、とくに想い出深い作品、「みみをすます」。
偶然にも、谷川さんご本人の朗読によって、ライブで聞くことができました。
忘れられない1日になりました。

直接拝見する谷川さんは、予想どおりに、おだやかで、力強く、誠実であり、エロティックで、とても素敵でした。このように齢を重ねたい、そう思う方です。

講演は現代詩作家の覚和歌子さんとの対談形式でした。
そのなかで、琴線に触れたポイントを・・・。



谷川さん
現代人には「わからない」ということが、不安である。だから、子どもにもわかりやすいものを与える。

わかりにくいものが、永遠のクエスチョンになっていて、それが大人になってわかる時がある。それが、とてもいいプレゼント。わからないことの贈り物という考え方である。

学校の授業でも、「作者がこの詩で伝えたいことは何か?」
「作者は何を考えていたのか?」ということで試験をする。

詩で試験をすることは不可能。

あいまいでないものや、明晰でないものと一緒にいられることが、人生を楽しむということ。

サプリメントと生野菜の差。スペック(栄養素)は同じでも、在り方がちがう。
あいまいさを楽しむ、味わうということが大切。

覚さん
言葉はデジタルなもの。
名前をつけて物事を分類している。

谷川さん
言葉によっては矛盾しているということが、リアルである。
言葉というのは、明らかにすることができる半面、難しくしてしまうこともある。

現代人はとにかく安心したがる。




(覚和歌子さんの「真夜中のオレンジ」という詩の朗読が終わった時のコメントとして)

谷川さん
言葉の強さというのは「エロス」があるか、ということ。
「体好み」(からだごのみ)のことば、という意味。

覚さん
私は、ロゴスなんだけど、行間からエロスが感じられるくらいがいい。

谷川さん
(否定的に)「エロス」がないと伝わらない。



↑このやりとりは非常に面白かったです。
谷川さんの表現者としての突き抜けた感じ、そぎ落とされたソリッドな感じに対して、覚さんはまだ、作家としての見せ方の方にこだわりがある。
この態度というか、立ち位置は、それぞれの作品にも出ていると思いました。

覚和歌子さんの作品は、とてもマーケティング的。
絞って、狙って、撃ち落とす感じ。
商業的な分、どうしても「あざとさ」が見え隠れします。

谷川さんの作品は、やっぱり、魂が震える感じがします。
根源的な感動です。表現者が「エロス」というなら、受信者としては「リビドー」と言ってもいいかもしれません。それが魅力だと再確認しました。



覚さん
私にとっては詩を書いている作業は果てしなく自己セラピーに近い。
一人でも多くの人と共有するための言葉を探す。

言葉にならないものを浮き上がらせるために、外堀を言葉で埋めている感覚。

伝えたいことは、言葉で埋めた以外の部分。




(講演後の質問タイムにて、「どんなときに、詩作のきっかけとなるか?」という質問に対して)

(両氏声をそろえて・・)
詩を書くきっかけは「しめきり」!!!

締め切りは他者の枠。
詩というのは、自己表現という部分もあるが、他者との関係において出てくる。





非常に楽しい時間でした。

ずっとそろえたいと思っていた、谷川さんの詩集をまとめて購入して、その場でご本人にサインをいただきました。ありがとうございました。一生の宝ものにします。

谷川俊太郎詩選集  1 (集英社文庫)谷川俊太郎詩選集 (2) (集英社文庫)谷川俊太郎詩選集 3 (集英社文庫)


以下、追記部分は、講演時の個人的なメモです。

20090507夕学五十講 谷川俊太郎 覚和歌子
言葉の力


人間は赤ん坊のころは言葉を持っていない。
言葉を使用できる構造が人間にはある。
真似をしながら覚えていく。

最初は親の言葉、年長者の言葉に影響を受ける。

子どものころに親から受けて、傷ついた言葉、励まされた言葉があるのではないか。

覚 
傷ついた言葉を覚えている。
母親から言われた言葉。
「お母さんの育て方がわるかったのね・・・」
相当傷ついた。直接悪い子といわれると直接的だが・・・。
間接的なプレッシャーが与えられている言葉。

谷川
母に言葉できつく言われたよりも、態度を覚えている。
病院での態度をおこられた。おしゃまな態度。
その時の母の剣幕が忘れられない。
その時以来、本音を隠さないといけないという意識にとらわれた。
したいようにすると怒られるということ。

父は哲学者だが、学問よりも芸術が好きだった
父がする「趣味が悪い」という表現は、全人格否定だった。
「趣味」で人を判断してはいけないと思うようになった。




親の言う決まり文句 それが出ただけで毛穴が逆立つような言葉。
「緊張を欠いている」という言葉。

谷川
自分が言った言葉で、誰かが傷ついたことはないか


あなたの体が弱いことが私を傷つけている
という言葉を最近言われた。

谷川
人に対して喚いたりしないが、小学生のころ境遇が入り混じっていた。
お弁当にチーズを食べていると石鹸を食っているとからかわれた

農民の子に「呑(どん)百姓」とののしった。
言われた子も差別用語であることを理解していた。
そのことが忘れられない。
その体験が今の弱者への言葉の感覚のベースになっている。


なぜ、「人の話を黙って聞いていられないの?」
と罵ってしまったことがある。



谷川
声になっている言葉と文字の言葉は意識するか?



文字は譜面のようなもの。
声になって立ち上がってもらうために書いている。

文字テキストとしての作品ではなく、声に出してもらうために書いていた。
読んでもらった時のことまで考えて、詩を書いている

谷川
60年ころ、長くアメリカ滞在していた。
黒人の詩人がグッゲンハイム オーディトリウムルームで詩の朗読をしているのを聞いた。
やさしい語り口で、印象的だった。

それが一つのきっかけで、活字の伝達と声の伝達が50:50であるという意識ができた

その後、ワシントンで詩の朗読の機会があった。
もちろん日本語で。

日本語の語感の良さを伝えるため、繰り返しの多いものとか、
内容としては、ビリー・ザ・キッドの話とかを選んだ

非常に緊張した。


谷川
詩の読み方はいろいろあって、パフォーマンスにする人もいる。
私は「素で手渡す」という意識をしている。


私も同意。


谷川
叙事詩と抒情詩があるが
日本ではほとんど抒情詩である

みみをすます(谷川氏による朗読)

すべてひらがなの言葉で書いた。
漢字は外来語というイメージがぬぐえない。

「すます」という言い方は、日本独特の表現。
英語では表現できない。翻訳者がとても苦労していた。
結局Listen toという訳になった。


アナウンサーは原稿の漢字を開いて読むそうです。
ひらがなの方が体に吸収されやすい。
ひらがなの方が身体性が高い。
日本人の体に合っている。



ステレオ朗読 ヤーチャイカ
(二つの詩を二人で同時に読む)

「ヤーチャイカ」とは、「私はかもめ」という意味
テレシコワの言葉

言葉の力には
意味の力と声の力がある

言葉の中には意味と同時に声の質やリズムによって伝わるものがある。


意味でないものはデジタルな世界では感じ取りにくい。
活字を読んでいても、私たちは頭の中で声を聞いている。

ヒットラーの演説。
あれは、言葉の音楽的な側面をうまく利用している。
内容にはあまり意味がない。
連呼することで、聴衆をひきつけている。



歌の作詞は90%曲が先。

音符のつながりに言葉が制約されることがある。
でも、それが、プロの仕事。

作詞家と詩人は似ていて違う。 収入も違う(谷川笑)

商業ベースなので、売れるか売れないかが一つの価値。
職能として磨かれざるを得ない。

今の音楽業にオリジナリティを探すのは難しい。

谷川
歌を聞いているなかでの、言葉の役割はどれほどか?


メロディと詩を別々に聞いてはいない。
一体化した形で、心に響くかどうか。

同じフレーズでも曲によって
感動したりしなかったりする。


谷川
ビートルズを最初に聞いていたころは歌詞の意味なんてわからなかった。
それでも感動していた。
英語がわからなくても、感動する音楽もある。


それは、もちろんありえます。
音だけで感動する歌もあれば、
音を聞いてなくても、感動する歌詞もある

谷川

言葉の音楽性、音的な質だけで、感動させることもできるのでは?

今、詩の世界は意味過剰な世界。人が離れてしまう。

詩はプリミティブな状態では、叫びや音であったはず。

私の場合。現代詩に音の強さを取り戻したいという時期があった。
意味は「ナンセンス」とした。

子どもたちには、そういうものが支持されることが多い。

「いるか」という詩(谷川氏朗読)

日本語は押韻が印象に残りにくい。

母音がくっつくから。
しつこいくらいに繰り返さないとだめ。

なので現代詩に持ってくるのは難しい。
わらべ歌のようになってしまう。

オノマトペだけでも詩は書ける。

おならうた(谷川氏朗読)


言葉のデリケートな力、しとやかな力も無視できない

日本語はほかの言語よりもオノマトペが多い。

「みみをすます」のペタペタ、パタパタの違いが英語に訳せない。
困った翻訳者は、結局ローマ字表記で書いた。



「今、はまっている擬音語は?」という質問がある。
マイブームな擬音語。

友人の場合「ネバネバ、もっちり」私の場合、「サクサク」
もっちり ということばも最近ではないか。

オノマトペは増殖していく。それが日本語の懐の深さ。
もっちりもそのうち辞書に載るのではないか。

谷川
日本語はいい意味で幼稚性を失わない


身体性や音楽性も。


(覚氏朗読)
「真夜中のオレンジ」

谷川
言葉の強さというのは「エロス」
「体好み」(からだごのみ)のことば、という意味。


ロゴスなんだけど、エロス。くらいがいい。

谷川
エロスがないと伝わらない。




賞味期限が切れる言葉というのがある。
「こくる」は古い。

谷川
「こだわる」という言葉がある
本来、マイナスの面を持った言葉だった。
いつの間にか、プラスの言葉になってきた。

そういう変化は言葉の責任ではなく、社会の寛容の責任である。

社会の変化にのって、詩に使えなくなってくる言葉がある。
差別用語、放送禁止用語とかもある。


「盲縞」(めくらじま)という、日本古来の織模様の表現は今では使えない。

谷川
それらの言葉が使えないので、現代詩はとても苦労している。

文学の言語と日常の言語は切り分けないといけない、と考えている。
「深層言語」と「表層原語」という分け方。

詩人の言葉は「深層言語」 
無意識に出た言葉を意識で推敲したもの。

深層から生まれてきた言語に「解説」はできない。
「解説」でわかられた気分になったら、それは詩ではない。


胸の中で回して味わってほしい。

「この詩はメッセージはなんですか」と聞かれることが多い。(笑)
メッセージがわかっているなら、それを書く。

映画で伝えたいものは何ですか?と聞かれる。
それがあれば、言葉で伝える。

谷川
現代人には「わからない」ということが、不安である

子どもにわかりやすいものを与える。

わかりにくいものが、永遠のクエスチョンになっていて、それが大人になってわかる時がある。それは、プレゼント。
わからないことの贈り物という考えがある。


学校の授業でも、「作者がこの詩で伝えたいことは何か?」
「作者は何を考えていたのか?」ということで試験をする。

詩で試験をすることは不可能。

あいまいでないものや、明晰でないものと一緒にいられることが、人生を楽しむということ。

サプリメントと生野菜の差。スペック(栄養素)は同じでも、在り方がちがう。

あいまいさを楽しむ、味わうということが大切。

言葉はデジタルなもの。
名前をつけて物事を分類している。

言葉によっては矛盾しているということが、リアルである。

言葉というのは、明らかにすることができる半面、難しくしてしまうこともある。

現代人はとにかく安心したがる。

覚氏「アプローズ」朗読
現代詩の中でも長いもの。


谷川氏「ごちそうさま」朗読




==質疑応答===============================

好きな色と理由


若草色 98年から好きになった
アイルランドの国のカラー

谷川
青が好き 色は無限の階調がある

褪せた青空の青 夕焼け前の黄色みがかった青

=====================================

言葉にならなかった言葉。話さなかった言葉。について


谷川
それは、あらゆる言葉の源泉。
人間の意識化には言葉にならないもの。なっていないもの。現在進行形で。
そいういうものがある。
それを「意味可能体」という。

言葉を「枝葉」とするならば、「根」は意識。
意識は沈黙の世界。

意味になろうとしているものがうごめいている。

そういうものが詩の源である。

言葉を言葉としてとらえられているとだめ。


私にとっては詩を書いている作業は果てしなく自己セラピーに近い。
一人でも多くの人と共有するための言葉を探す。

言葉にならないものを浮き上がらせるために、外堀を言葉で埋めている感覚。

伝えたいことは、言葉で埋めた以外の部分。


谷川
「集合的意識」という考えがある。
その人個人の意識だけでなく、集団の意識が存在している。

自分がこんなこと考えたはずがないというものが出てくることがある。

==============================

自分の声について、どのようにとらえられているか。
客観的に人に伝わる声というものをどう考えているか。


旦那が落語家
師匠からの教え 話は歌うように、歌は話すように。

自分の朗読がどんな感じかというのは考えたことがない。


谷川
たしかに、自分の声に劣等感がある。
骨伝導の声を自分の声が違う。
声を出すのが劣等感としてある。


自分のしゃべりにうっとりしているのはごく一部の人。

谷川
あまり、自分の声に自意識過剰になる必要はない。


==============================

どんなときに、詩作のきっかけがでるか

両氏声をそろえて・・
詩を書くきっかけは「しめきり」!!!

締め切りは他者の枠。
詩というのは、自己表現という部分もあるが、他者との関係において出てくる。


===============================

詩を書くときは職人になっている

詩を書くときは美辞麗句でひとをだます感覚。
普段の暮らしは正直に話す。

「人間力」と「言葉力」はイコールである

==============================

書き言葉と話し言葉
日本語の力 について。

谷川
明治維新に鎖国を解いたときから激変している。
欧米の文明が言語を伴って入ってきた。
すごく、明治の人びとは苦労した。

ひらがな漢字交じりが、根無し草のように感じられる。
父によると、ギリシャでは、店の看板が哲学語だった。という話。
日常の言葉と哲学用語がつながっている。

日本語は言語が抽象化してしまって、
例えば「民主主義」という言葉の定義が定まっていない。


卑近な例では・・・
日本語の乱れが激しいと言われるが、
私は肯定的な立場にたっている。

言葉というのは変わっていくもの。
運動のあるところに変化があり進歩がある。
変わっていくところに進歩がある。

谷川
詩にむていいる言葉。日本語は。
逆に言うと散文的な表現には向いていない。

===================

自分が励まされる言葉は?

谷川
格言やことわざよりも、「好きな人に好きだ」と言われることが力をもらう。


谷川さんにそんなこと言われたら、それ以上のことは言えません(笑)

===================
[ 2009/05/09 00:00 ] 講演会 | TB(0) | CM(0)
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松崎哲也 (love365)

Author:松崎哲也 (love365)
ベネッセで雑誌とWebのメディアマーケティングを担当する部門のブチョー。ソフトバンク・アカデミア外部1期生(現在参加中)。
「発信内容は個人の意見であり、必ずしも組織の見解と一致しているわけではありません」

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