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宇津木妙子 夢と人生‐教え子が成し遂げた金メダル‐

ソフトボール眼
ソフトボール眼

シドニー、アテネの2大会で日本女子ソフトボールチームの監督を務められた、宇津木妙子さんのお話を伺いました。

鬼監督として有名な宇津木監督。なぜ、メンバーは厳しい練習に耐えながら、監督についていくのか。親のように慕うのか。

お話をうかがって、少しわかりました。
元来、宇津木監督は決して、人づきあいが上手な方ではないと思います。思ったことはためらわずに口にするし、誤解もされやすい。
しかし、ソフトボールと並行して行っていたユニチカでの仕事で、女子紡績工員1000名の寮母の仕事をするなかで、「人」を活かすコツをつかんだそうです。ソフトだけでない、人生経験から来る人間力が透けて見えるから、人はついて行ったのだと思います。

ただ、厳しい練習に関しては以下のような発言がありました。

(監督として要請されたとき)
選手はほとんど、自分(私)の性格を知っていた。
だから、絶対服従。なぜなら、私の言うことを聞いたら勝てるから。
いくら一人一人が強くても、チームとして強くなくてはならない。

ほとんどの選手がきちんとやってくれた。
「食べ物を残すな」といったら、みかんの皮まで食べていた。
それくらい本気だった。


↑「絶対勝てる」という信頼。「みかんの皮まで」という本気度。
尋常な環境ではないですね。

また、褒めることと、叱ることのバランスは?という質問には、以下のように答えていらっしゃいました。


最初は叱っていた。叱っていても、なぜかという理由を伝える。
その場で叱る。あとに引っ張らない。
叱りすぎた夜、反省したことがある。夜見回りに言ったら、その子はいびきをかいて寝ていた。
選手を信じられない自分を恥じた。

感情的にならない。その場で叱る。理解をさせること。
あとは、メールやなんかでフォローする。
そうすれば、理解してくれるはず。




最後にもっとも印象に残ったお話を・・・

女子ソフトボールと言えば、シドニーオリンピックでのアメリカとの決勝戦での、延長戦での劇的なラストが記憶に残っているとおもいます。私もニュースでそのシーンを何度も見ました。
その部分のお話です。↓


シドニーまで、徹底練習。前日まで自分との戦い。

第1戦キューバ、カナダ、アメリカ・・・。
決勝戦まで全勝。決勝は中国戦。宇津木麗華のHRで勝てると思った。
ピッチャー交代しなくてはいけない時に、動けなくなった。
タイムをかけようと思っても、体が動かなくなった。

8回ウラ ランナー1、2塁。レフトフライ。レフトの選手がボールをとらえ損ねて、負けた。
一旦はグラブに入ったボール。雨の中、足がもつれ後ろに倒れて、球がこぼれた。

結果、準優勝。そのまま閉会式。
泣いているレフトの子がトイレから 出てこない。

その時に言ってしまった。
いつものような調子で、「早く出て来い。お前のせいで負けたんだろ。」と言ってしまった。

「この子のせいではない」チームのメンバー全員に言われた。
その時、このチームはいいチームになったと思った。

みんな同じ方向を向こうとチームを作ってきた。めちゃくちゃ練習した。
ただ勝ちたくて、ソフトボールをメジャーにしたくて頑張ってきた。

自分の采配ミスだった。ピッチャー交代が遅れた。
それを選手のエラーのせいにしてしまった。
(中略)
シドニーの大会で、レフトでエラーした子。

私の「お前のエラーで負けた」という言葉で、それ以来、ボールが持てなくなった。
2000年のシドニーからもう、9年経つが、いまだに持てない。

言葉の力は怖い。いまだにキャッチボールができない。
手が震えて、ボールが持てない。

メダルの箱も開けたことがないそうだ。

その時に言葉の怖さを学んだ。


↑舞台裏ではこんなやり取りがあったとは。。。
このエピソードを堂々と語ることができる、宇津木さんの覚悟というのが一番印象に残りました。

以下、追記部分は個人的な講義メモ(発言録)です。
20090603夕学五十講 夢と人生‐教え子が成し遂げた金メダル‐
宇津木妙子

自分の夢を人に託すのはつらいこと。
アテネからの4年が一番つらかった。

ソフトボールはアテネから公式種目
アテネは4位入賞。選手として参加。
次のシドニーは監督として銀メダルを獲得

4年後のアテネは金メダルを目指した。
しかし、銅メダルに終わった。

叩かれた。
自分の夢を自分でかなえられないつらさ。
上野 由岐子にかけた。

自分との戦いではなく、上野との戦い。
親が子供に託した夢のような感じ。
おかげ様で、悲願の金メダルを取れた。


しかし、ずっと金メダルを目指してきたのだけど、
本当に金メダルで良かったのか?
それが、最近の正直な気持ち。

頂点を目指していたころの方が楽しかった。

現在56歳。
親ではなく地域の人に育てられた自分。
年を追うごとに知り合いが増え、ソフトボールとも出会った。


兄弟のなかで、いつも比較される。
不快だった。
母に対しては敵対心を持っていた。

父は会社、仕事のことばかり。
家族より部下を大切にしていた。
でも、そんな父のことは尊敬していた。


母は兄弟と比較する。
勉強はダメだったけれど、運動会だけは1番だった

勉強は非難して、運動会だけ自慢する母に対して、
忸怩たる思いだった。


中学でソフトボールに出会った。
3年生で県大会に出場。優勝はできなかった。
そのくやしさ。

星野高校。入ってすぐは下働きばかり。
当たり前のルール。1年生の役割。

しかし、先輩の説教が理不尽に思えた。
9月くらいに、おかしいと感じた。
同級生と結託して、練習をさぼった。
結局、約束した同級生はサボらなかった。

1週間休んだ。校長先生がやってた。

顧問の先生は怒った。1カ月一人で下働きのみ。
やっているうちに、だんだん、チームは自分だけではないことがわかった。
そして、自分に対して腹が立った。


新人戦の時期になった。スタメンの発表があった。
ろくに練習もできていない自分には出場のチャンスはないはず。
しかし、オーダーの中に自分の名前があった。
その大会で優勝した。
これで一緒にやれると思った。

しかし、自分がいない間レギュラーだった子からのいじめがあった。
だれにも相談できなかった。

自分自身に相談した。
その子のために頑張ろう。そういう結論に達した。

毎日、朝一番のバスから最終のバスまで練習した。
そのころから、ずっと走っている。今も走っている。
毎日20分。腹筋500回。これもやっている。

ソフトへの関係が終わるまでやろうと思っている。


3年になった。キャプテンを指名された。
それまで叱られる人生。叱られることに慣れていた。
すみません、と言っていればよかった。

キャプテンになると、リーダーとしての発信もしなくてはいけない。

同級生はまだ許してくれない。

高知でのインターハイ。1回戦で敗退した。
同点で勝敗がつかず、くじ引きでの敗退だった。

その後の国体で準優勝。そのとき初めて褒められた。

同級生が、「ごめんね、ありがとう」と言ってくれた。

その時気付いたのは、1年生のときに、その子に謝っていなかった、ということ。
そのときに「相手の立場にたって考える」ということがわかった。
高校3年生だった。

いい学校、いい先生、いい仲間に出会えたと思っている。
自分を守ってくれた。

まさか、自分が全日本の監督になるなんて、そのころだれも思っていなかった。

3年間辛い中で頑張れた。



高校卒業後、父の反対を押し切って、岐阜のユニチカへ行く。
当時の日本リーグのトップチーム。

星野女子高校から、エースのピッチャーと一緒に言った。


「お前はピッチャーの付録だからな、、、、、」
監督からの、その言葉が悔しかった。
いつか、見返してやろうと思った。


ソフトと一緒に仕事があった。
3時までは仕事。寮生活。
そんななか、ソフトの練習も
高校と社会人ではスピード、パワーの差は歴然としていた。
すぐにレギュラーになれると思っていたが、ダメだった。

父が監督に
「明日、娘と一緒に帰る」といった。
採用の時の約束が違うという意味。


高校の時にできたことが実業団でば全くできない。
聞かない限り教えてくれない。
どうやったら先輩に追いつけるか、近づけるか。

差は縮まらない。高校のとき以上に練習した。

先輩がけがをしてチャンスが回ってきた。
必死で声を出して、アピールした。
レギュラーをとることができた。


だんだんと、スピードやパワーがついてきた。
1年の終わりには「キャプテンをやらせてくれ」と言っていた。
チームに対して批判していた。練習のやり方が悪い。

そんな思いで3年になる。

キャプテンになった。
ルール改革。整理整頓、管理、自分でやることにした。
自分の目標を書かせて、練習するようになった

5年キャプテンをやって、全国トップレベルになった。

その後13年間コーチの仕事。ソフトボールにかかわる仕事はすべてやらせてもらった。




そのなかで一番勉強したのは、仕事。3時までの仕事だった。

総務部福利厚生課の仕事。寮生3000人の世話。
当時は汲み取り式のトイレ。そのトイレが詰まる。
下水槽の中に入り、押し出さなくてはならない。
その掃除をやっていた。
辛い仕事。臭くなる。

いつも泣きながら、なんで私がこんな仕事しなくてはいけないのか?と思っていた

でも、だれかがしなくてはいけない仕事。
3年間やった。

その後事務をやり、寮母の仕事をやった。
1000人の寮生。その個性を活かすことを学んだ。

あいさつの仕方でで寮生の生活がわかるようになった。

寮生から学んだのは「人」だった。
個性をどう生かせばいいか。

それをユニチカで学んだ。

13年続いた。
ソフトで入ったのだからソフトが終わったらやめる。
仕事もしっかりやってきたつもりだが、企業スポーツはそういうものだった。




その後、日立高崎に行くことになった。

監督を要請された。
でも、選手はいやがっているのはわかっていた。鬼のコーチ。
当時、女性の監督はいなかった。すぐ返事はできなかった。

父に相談した。
選手のときは自分のことだけを考えていればいい。
監督になったら、周りの人のことを考えなくてはいけない。
先生、社長、親、用務員いろんな役をやらなくてはいけない。
それができるか?と言われた。

父にユニチカの時の話をした。トイレ掃除のことも話した。父は泣いた。
「3年がんばれ」そう言われた。


監督になることを決意した。
女の私に賭けてくれた工場長のために、頑張ろうと思った。

ルール作りから始めた。あれほどいやだったルール作りから。

チームメンバーも、2時半までは仕事。
職場でも責任のある仕事を任せてやってほしいということをお願いした。


基本プレイをなぜ反復するか。
目標を持たせて、書かせるようにした。
ノートに書かせた。

適材適所のなかで、どう生かせばいいかを一番考えた。

徹底練習。一つ一つのプレイ。自分との戦い。
常に緊張感を。練習のための練習ではなく、試合のための練習。

3部リークのチームだったが、2年間で2部リーグへ。
そして3年めで夢の1部リーグへ。

3年目の途中で父が亡くなった。
結局、30番の背番号を見てもらえなかった。



アトランタオリンピックもコーチで行った。感動した。
開会式は一生の感激だった。一人でも多くの人にこの感動を分かち合いたい、そう思った。

97年高崎が3冠をとった。
日本代表の監督要請が来た。

全権をもらえることと引き換えに、請け負った。

シドニーまで、徹底練習。前日まで自分との戦い。

第1戦キューバ、カナダ、アメリカ・・・。
決勝戦まで全勝。決勝は中国戦。宇津木麗華のHRで勝てると思った。
ピッチャー交代しなくてはいけない時に、動けなくなった。
タイムをかけようと思っても、体が動かなくなった。

8回ウラ ランナー1、2塁。レフトフライ。レフトの選手がボールをとらえ損ねて、負けた。
一旦はグラブに入ったボール。雨の中、足がもつれ後ろに倒れて、球がこぼれた。

結果、準優勝。そのまま閉会式。
泣いているレフトの子がトイレから 出てこない。

その時に言ってしまった。
いつものような調子で、「早く出て来い。お前のせいで負けたんだろ。」と言ってしまった。

「この子のせいではない」チームのメンバー全員に言われた。
その時、いいチームだと思った。

みんな同じ方向を向こうとチームを作ってきた。
めちゃくちゃ練習した。
ただ勝ちたくて、ソフトボールをメジャーにしたくて頑張ってきた。

自分の采配ミスだった。ピッチャー交代が遅れた。
それを選手のエラーのせいにしてしまった。



帰国したら、反応が変わっていた。どこへ行っても声をかけてくれた。
親戚が増えた。それがシドニーの反応だった。


アテネでは金と思って、徹底強化した4年間だった。
ソフトの世界も変わっていた。

アテネは銅だった。帰ってきてから叩かれた。
なぜ、作戦が決まらないんだ。なぜ、エンドランができないんだ・・・。

オリンピックの試合が終わった後の2時間の会議。
全て私の責任と答えた。涙もでなかった。

腹をくくっていた。リーダーとしての責任。
終わってからトイレで泣いた。

選手を追い込んだ4年間。
やるべきことをやっていなかったんではないか?
選手に頼りすぎてなかったか?

日本監督退任。
その後ルネサス高崎の総監督になった。
本来、勝てるチームでななかったが、チームは優勝した。

宇津木麗華監督が、試合前にみんなで寄せ書きした色紙をみせてくれた。
今回の大会、宇津木監督を胴上げしよう。と書いてあった。

ソフトはチームスポーツだが、個人ワーク。
それぞれが、準備して戦う。
そのなかで、監督のために、といっても勝てるものではない。
うれしかった。

あとの4年間、上野に託せばいい。そう思えるようになった。


精神面は私が上野を徹底教育。
体力面はレイカが担当。


アテネの時に高山を使い続けた。
上野はスタンバイしていた。酒井も待っていた。
なぜ、使わなかったか。それは、自己管理ができてなかったから。
エースとしての覚悟ができていなかった。

上野には徹底教育した。
2年間、徹底的に練習してくれた。何度も貧血になりながら。


そして、北京。
あの413球。
北京での10日間。最後までやるべきことをやってくれた。


本当によくやってくれた。
上野には申し訳ない気持ちだった。

上野が初めて泣いているのを見た。
麗華が泣いているのも初めて見た。

麗華も複雑な心境だったと思う。
祖国に帰れず、自分の後輩を指導している。
中国のオリンピックを日本人として観ている。


選手たちから、手作りの金メダルをもらった。

その日、「上野、勘違いするな。行く前も帰ってからも同じだ」とだけメールした。



日本代表が金メダルをとった。
高崎のチームも3冠とった。

私の夢はすべて、後輩たちがかなえてくれた。
そして、12月5日、監督のユニフォームを脱ぐことにした。

ソフトはロンドンから正式種目を外れてしまった。
オリンピック復活為の活動をすることになった。
国内の普及活動もしている。

南アフリカのガンビアにも行った。
体当たりでやれば通じる。
また行きたいと思った。


普及だけではない、オリンピック復活だけではない。
自分ができることは何だろう?
そういう思いを抱きながら、学校まわりをしている。




最後は自分。
親の手はいらない時もある。
でも、支えてほしい時もある。

環境も大切。悪い時はしかることができる環境。
周りの人に支えられ、教えられ、今がある。


企業もそうだ。今、大変な時代。
本当にどうしたらいいか?
会社に対しても、愛情。そして人が大切。
人をどう動かすか。

子どももそう。親の道具ではない。



世界一になったあとのモチベーション維持は難しい。
チームが悪くなるのは簡単。
どれくらい愛情をもっているか、が大切。


監督は孤独である。
決断をしなくてはならない。失敗するかもしれない。成功するかもしれない。

実行。行動力。だから今、だれもいない国に言って、体当たりをしている。

自分と向き合って出した結論である。



==質疑応答=================
選手は9人。補欠もいる。補欠に対してどう接しているか。

→ほとんどの選手を使うようにしている。
使うといってもいろいろある。
高校ナンバー1の選手。3年間バット引きとしてしか使えなかった。
チームのために働くという役割もある。
次の人生のためになっているはず。

=======================
自分は女性の組織をマネジメントしている。
ほめることと、叱ることのバランスは?
→最初は叱っていた。叱っていても、なぜかという理由を伝える。
その場で叱る。あとに引っ張らない。
叱りすぎた夜、反省したことがある。夜見回りに言ったら
いびきをかいて寝ていた。選手を信じられない自分を恥じた。

感情的にならない。その場で叱る。理解をさせること。
メールやなんかでフォローする。
理解してくれるはず。

=======================
ルールについて。プライドのある人にルールを根付かせるコツは?

→選手はほとんど、自分(私)の性格を知っていた。
絶対服従。なぜなら、私の言うことを聞いたら勝てるから。
いくら一人一人が強くても、チームとして強くなくてはならない。

ほとんどの選手がきちんとやってくれた。
残すなといったら、みかんの皮まで食べていた。
それくらい本気だった。

=======================
審判との戦い。そこで留意していること。

→人間だから感情的なこともでてくる。
シドニー、アテネ、決勝戦はすべてカナダの監督だった。

ある意味、審判に合わせないといけない。
審判で負けたということは言いたくない。
悔しかったらHR打て。

=======================

個人データのカードの作り方
→選手のいちばんを何度も自分でつくる。
ノーエラーノックという練習がある。
全員がエラーなしで取れるまで、終わらない。
まじめな子は緊張してエラーする。
自己中心な子は自分の世界でできる。
他人の迷惑のことを考えるとエラーになる。
そういう性格分析が大切。

具体的には、みんなから見た「いいところ」「わるいところ」を5つ言わせる。
性格分析はみんなで言い合う。欠点はあまりみない。欠点を利点に活かす。
やる気が大切。やる気をどう持たせるか。

=======================

シドニーの大会で、レフトでエラーした子。

私の「お前のエラーで負けた」という言葉で、
ボールが持てなくなった。いまだに持てない。

言葉の力は怖い。
いまだにキャッチボールができない。
手が震えて、ボールが持てない。

メダルの箱を開けたことがないそうだ。

その時に言葉の怖さを学んだ

=======================

[ 2009/06/08 00:00 ] 講演会 | TB(0) | CM(0)
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ベネッセで雑誌とWebのメディアマーケティングを担当する部門のブチョー。ソフトバンク・アカデミア外部1期生(現在参加中)。
「発信内容は個人の意見であり、必ずしも組織の見解と一致しているわけではありません」

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